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寺の修行と言っても宗派によってかなりのちがいがあります。
「座禅をくんで瞑想し、自己を静かに見つめ邪念、煩悩を取り除いていこうとするもの」
「自らの体力、精神力を極限まで酷使し、悟りを得ようとするもの」
真言宗では、身体(手や指を使って形を造る) 言葉(古代インド語を唱える) 意(心に仏の存在を想う) この三つを同時に行いながら仏さまと正面から向かい合い、仏さまと対話をして行くのです。
そして、究極には仏が自分の中に入り込み、自分が仏の中に入って行く、仏と自分が一つになる。
仏と自分が一つになってこそ、この世に仏がいる、自分はとてつも無く大きなものに生かされているのだ、と言う事を実感するのです。
もちろん修行には段階があって、ひとつ、ひとつ会得して行きます、ただお寺の修行は学校ではありませんので、黙って座っていれば先生が教えてくれる、と言うものでは無くて、自らが学び取る、一つでも多くのものを会得する、と言った求道精神が必要です。
修行とは「させられる」ものでは決してなくて、「大切なものを学ばせていただく」この精神が大切です。


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